今回は男子プロテニスの歴史の中でプレースタイルがどのように変化していったかを調べていきたいと思います。
参考にしたデータは過去のATPランキング1位選手達と該当選手の主なプレースタイル(一般的に広く認知されてる情報をプレースタイルとして決めました)
にしました。
そして過去に男子プロテニスの歴史の中で1位とランク付けされたのは26名になりますが、惜しいことに数週間で1位から順位を落としてしまった選手もいるので
ここは独断と偏見により、およそ一年以上(間で数週間くらいの途切れも含めちゃいます)は1位をキープした選手に焦点を当てたいと思います。
《関連記事》
過去の歴代の男子テニス選手世界ランク1位を時系列にまとめました。
目次
- 男子テニスのプレースタイルの変化を過去から現在まで辿ってみた
- 1930年頃(アプローチ&ネットプレー)
- 1950年頃 以降(サーブ&ボレー)
- 1970年代 中盤(オールラウンダー)
- 1970年代 後半(スピン系ストローク&パッシング)
- 1980年代 前半(スライスサーブ&ボレー)
- 1980年代 中盤(リターン&ストローカー)
- 1990年代 初期(スピンサーブ&ボレー)
- 1990年代 前半(フォアハンド特化型ストローカー)
- 1990年代 中盤(サーブ特化型オールラウンダー)
- 1990年代 後半(ライジングリターン特化型ベースライナー)
- 2000年代 前半(守備型ベースライナー)
- 2000年代 中盤(攻撃型オールラウンダー)
- 2000年代 後半(超スピン系ストローク)
- 2010年代 前半(守備型ベースライナー+コートカバーリング)
- まとめ
男子テニスのプレースタイルの変化を過去から現在まで辿ってみた
時系列で追って見ましょう。
1930年頃(アプローチ&ネットプレー)
この時代はウッドラケットです。
関係ないですが、服装はチノパンにシャツinでサラリーマンのような外見です。短パンを履いてる人はいなかったようです。審判の方達もスーツで貴族感たっぷりですね。
フォアハンドストロークもバックハンドストロークもほぼ全員片手打ちでフラットスライスが主流であったようです。
テニスの認識も現代のような超ハードヒットで打ち合うテニスではなく、
ベースライン上で戦っていてもポイントは取れないので最終的にはネットに詰めてボレーで決めるプレースタイルが主流のようです。
ネットプレー≧ストロークな時代
サーブはジャンプをせず、地に足をつけたサーブがメインです。
っというのもどうやら1960年ごろまでルールとしてサーブ時の足は地面を離れちゃいけなかったようです。
現代に比べると比較的に優雅なイメージだったようです。
思い浮かぶのはテニス漫画「エースをねらえ!」
ずいぶん前に読んだので内容自体はうろ覚えですが、印象に残ってるのは作中でよく出てきた「ポーズ」ってセリフでした。
描写としてはフォアハンド・バックハンドのフォロースルーのコマです。
スポ魂漫画にある熱血で泥臭い部分がありながらも、綺麗なフォームを良しとして、
お蝶婦人というキャラもあいまって確かに優雅なイメージは強かったです。
この漫画が始まったのが1973年。
漫画でそうなのだから世間の認識もそういうことでしょうね!
1950年頃 以降(サーブ&ボレー)
この時代もウッドラケットですね。
1950年頃と書きましたが、1940年ごろの映像が見つからず、説明のために1950年代としました。
最終的にはネット前まで詰めてポイントを取ることは変わらず、ネットプレー時代です。
ですが、アプローチ&ボレーに加えて+サーブ&ボレーがメインで使われてきました。
「どうせだったらサーブ直後にネットに詰めたほうが良くない?」的なことでしょうか。
しかし、サーブ自体には一撃でポイントを決める決定力はなく、
どちらかと言うとネットプレーの技術力でポイントを決めるネットプレーメインの時代のような気がします。
サーブ≧リターンな時代
1970年代 中盤(オールラウンダー)
この時代からウッドラケットからメタルカーボン素材のラケットが使用されることが多くなりました。
ジミーコナーズ(アメリカ)左利き・両手打ちバックハンド
1974年から160週連続1位。
その後はボルグに一週間だけ1位を譲ったもののそこからまた84週1位。間違いなくジミーコナーズの時代と言えそうです。
「野獣コナーズ」と呼ばれていたようで、
プレースタイルは野獣の名の通り、力強いストローク・強いリターンを持つフラット形ストローカーの選手です。
しかし、ラリー中の甘い球からのアプローチショットでネットプレーを取り入れたり
サーブ&ボレーを入れたりと、ストロークだけに頼らないオールラウンダーな選手とも言えます。
ラケットの機能向上によりリターンとストローク(フラット系の強打)が強化されたことによって、それまで活躍してたサーブ&ボレーヤーたちは容易にはネットに近づけなくさせたように思えます。
1970年代 後半(スピン系ストローク&パッシング)
ビヨン・ボルグ(スウェーデン)右利き両手打ちバックハンド
1977年8月に初めて1位になったが、その後ジミーコナーズに再び譲り渡す形に。
1979年7月から連続34週、三週間空いて連続20、一週間空いて46週 と
約2年間テニス界トップにいたと言えます。
ご存知の方も多いでしょう。
プレースタイルは力強いトップスピンストロークメインのスピン系グランドストローカーです。パッシングショットも秀逸です。
スピン系により安定感の増したストロークでラリー戦を戦い、
ネットに出てくる相手にはパッシングショット。スピン系のおかげで相手の足元に静めることも出来る上、サイドアウトもしにくく角度もつけやすいわけですね。
この時代でも最終的にはネットにでてポイントを取るパターンが多いので粘り強いストロークと正確なパッシングを打てるボルグが頂点となりました。
関係ないけど、コナーズとボルグが両手打ちの先駆者だそうです。
インパクト後に片手を離す動作が特徴的ですね。
1980年代 前半(スライスサーブ&ボレー)
この時期くらいになるとラケットは更に進化してグラスファイバー等が出てきました。
ジョン・マッケンロー(アメリカ)左利きシングルバックハンド
1981年に連続58週・1984年に連続53週1位。
ライバルのボルグは引退してしまいますがその間の時期にコナーズや次世代のイワン・レンドルが1位を奪ったりと脅かします。
しかし、この時代トップのジョン・マッケンローのプレースタイルはサーブ&ボレーです。
マッケンローのサーブ&ボレーは1950年代のサーブ&ボレーに比べるとラケット自体の性能も向上しておりサーブの威力が上がり、おまけに左利きのサーブという返球のしづらさからサーブのみでポイントを取ることも可能になりました。
そしてサーブを返球されても絶妙なタッチ感でコースを突くボレーがあります。
両手打ちバックハンドのボルグに対して左利きのスライスサーブはかなり効果的でした。
攻撃的なサーブによりパッシングの精度が下がった結果ですね。
更に、ストローク戦だとマッケンローはあまり下がらずライジングで返球するので返球時間が早く、相手にネットに出る時間を与えません。
一般的にはネットプレーヤーに対して先にネットに出るという戦術が効果的ですが、ジョン・マッケンローはパッシングショットも得意としていたようです。
1980年代 中盤(リターン&ストローカー)
イワン・レンドル(チェコスロバキア)右利きシングルバックハンド
1985年に157週連続・1989年に80週連続1位。
1983年に初1位になりますが、マッケンローに何度も妨害されます。
サーブ&ボレーに対抗するかのようにリターンとストロークが突出して、頭角を現してきた選手。
攻撃的なリターンとベースライン後方からの強烈なストロークを軸にしたハードヒッターです。おまけにサーブも得意。
ゆったりとした動きに見えますが実はフットワークもいいのです。
片手打ちのバックハンドストロークからでもポイントを取ることが出来るので、シングルバックハンド選手の中では最初のハードヒッターと言えそうです。
レンドルはバックハンドも得意ではありますが、シングルハンドは高い打点になると力が入りにくい特性があるのでスライスを多用したり、
シングルバックハンドの弱点になる高い打点をねらわれることを先読みしての回り込みフォアハンドで高い打点からのハードヒットでポイントを取ることが多いです。
1990年代 初期(スピンサーブ&ボレー)
ステファン・エドバーグ(スウェーデン)右利きシングルバックハンド
1990年に24週・三週間空いて20週・そして22週1位。合計72週1位。
再びサーブ&ボレーヤーが頂点に。
同じ時代のサーブ&ボレーヤーにマッケンローやボリスベッカーがいますが、
エドバーグはスピンサーブ(キックサーブ)を多用してのサーブ&ボレーです。
なので、滞空時間のあるサーブからボレーで勝負していくタイプの印象を受けました。
特にボレーはマッケンローに比べるとスピードを重視していて「矢のようなボレー」と評されるようです。
1990年代 前半(フォアハンド特化型ストローカー)
ジム・クーリエ(アメリカ)右利き両手打ちバックハンド
1992年に22週連続で1位になり、そこから半月ほど首位から落ちましたが再び1位に。
約一年ほどの王者でした。
レンドルもそうでしたが、クーリエは特に回り込みを多用して自身の最大の武器であるフォアハンドを主体に戦っていく選手でした。
1990年代 中盤(サーブ特化型オールラウンダー)
ピート・サンプラス(アメリカ)
1993年から2000年頃までの長い間王者として君臨し続けた選手
サーブの球種が読みにくくかつ強力で、サーブ&ボレーヤーとしてもベースラインプレーヤーとしてもこなせるオールラウンドプレイヤー。
オールラウンドプレーヤーとはどの技術もそつなくこなせるわけですが、サンプラスの場合そのどれもが強力な得点パターンとして確立されています。
歴代最強としても呼び声高い選手ですね。
1990年代 後半(ライジングリターン特化型ベースライナー)
アンドレ・アガシ(アメリカ)右利き両手打ちバックハンド
幼少時代から、父親が改造した球出しマシーンでリターンの練習に明け暮れていたみたいです。
その甲斐あって世界一のリターン名手となりました。
※後ほど記載します。
※こうしてネットプレーヤーとベースラインプレーヤーは交互に時代のトップにたってますが
ここからはストローク時代が始まります。
ストロークとひとくくりにまとめてしまえば簡単ですが、その中でも個性があり複雑です。
その辺を時間があるときに調べて記事にしますのでとりあえずざっくりと思ったままを書いておきます。そして修正があれば変更していく予定ですのでご容赦いただければと思います。
2000年代 前半(守備型ベースライナー)
レイトン・ヒューイット(オーストラリア)
2001年ごろに約一年半トップに君臨しました。
足腰が強くフットワークがとてもいい選手で、厳しいボールにも追いつくことが出来るので、ただ打ち返すだけではなくしっかりとしたストロークがベースになっています。
アガシと同じようにリターン巧者であり、ヒューイットは更に粘り強い。
全体的に守備ベースのプレーヤーとして知られていました。
2000年代 中盤(攻撃型オールラウンダー)
ロジャー・フェデラー(スイス)
2004年ごろからテニス界のトップに。テニス界のあらゆるレコードを次々と塗り替えていくスーパースターですね。まさに生きるレジェンド。
サンプラス同様に全てのショットレベルが高く、フットワークのよさから回り込みのフォアハンドを多用しつつこの時代ではオールラウンドに戦うことが多かったです。
前王者ヒューイットの守備力を攻撃的なテニスによって超えた形になりましたね。
2000年代 後半(超スピン系ストローク)
ラファエル・ナダル(スペイン)
長いフェデラー時代の中、2008年に風穴を空けた選手。
そして現在もフェデラーの復活とともに自身も復活するという笑
ご存知の通り、超超超スピンストローカーです。
この記事を書いていて思ったのは
オールラウンドなフェデラーVS超スピン系ストローカーのナダル
と
オールラウンドなジミー・コナーズVSスピン系のビヨン・ボルグ
と似ていますよね。
時代は繰り返すとはまさにこのことなんですねー。
2010年代 前半(守備型ベースライナー+コートカバーリング)
ノバク・ジョコビッチ(セルビア)
2011年ごろからの王者。
攻撃的な前王者ナダル・フェデラーに比べると少し守備的なプレースタイルではあります。
しかし、身体が柔らかくコートカバー力もあるためサイドにふられたボールでも隙の生まれない返球が可能となっています。
安定感のあるストロークで、ベースライン近くでテンポ良く返球するのでジワジワ追い詰めていく印象ですね。
ベースライン近くで攻撃的に戦うフェデラーと比べるとだいぶリスクを抑えてるようにもみえます。そこが怖いところなのかと。。
まとめ
ネットプレーとストロークの時代が交代交代でやっていきますが、2000年ごろからは特にベースラインで戦うことが多くなってきました。
トッププロとして頂点にたつためにはストロークが必要不可欠です。
そして現在、またナダルやフェデラーが復活してトップに返り咲きました。
キャリアとしてはもうベテランの方になってきた両選手はネットプレーに出る機会が多くなってきています。
もしかしたら、またネットプレーが最重視される時代がやってくるのかもしれません。